濡れなかったベンチ

シエナのフロントガラスを取り替えに White Plains の Safelite AutoGlass に来た。
ウチにはもうこのシエナ一台しかないし、作業時間が2時間だというので車を預けて、あたりを散歩しながら時間を潰すことにした。

少しばかりの雨降りだがどうってことはない。万が一のために折りたたみの傘を持って出たが、この程度の雨ならアメリカでは傘をさして歩く人などほとんどいない。ちょっと歩くと、毎年「桜祭り」をやっている公園がある。僕たちが15年前から10年越しで100本近くの桜の木を植えた思い出深い公園だ。

今年も去年もコロナの影響で「桜祭り」は開催されていないし、2年前には雨が降って会場が変更されたので、考えてみると、ここに来るのは3年以上ぶりのことである。あの頃、桜を植えた面子にはTK先輩やサウル少年もいたな〜。教会のグラウンズ・メンテナンスのメンバーも動員して20本以上植えた年もあったよな。仕事を請け負ったのはいいが、個人経営の小さな造園会社に気の利いた機械などあるはずもなく、穴を掘るのも人力頼みである。たいへんな肉体労働だが、その分、一本の桜を植えるのに投入した努力も思い入れも、ひとしお深いというものだ。

自分の中ではあの時の記憶はまだ鮮明に残っているのに、あれから随分と長い歳月が経ってしまったことは、桜の幹の太さを見ると自ずと知れた。どれも立派に大きく育ったものだ。

隣同士の枝が大きく伸びて、ぶつかり合ってしまっているところも多々ある。「これは手入れが必要だ」と感じたけれど、それは公園の管理者がやることなのだろう。我々に要請が来たことはない。もう6月だから花はとっくに終わって青々とした葉が茂っていた。今度は桜が満開の季節に足を運びたいものだが、もし、来年チャンスがあるとすれば、それがここで桜を観れる最後のチャンスになるかも知れない。
高齢で一人暮らしの母の介護のために、僕はしばらくアメリカを離れる計画を考えているからだ。その先はどうなるか今はわからない。

公園を2、3周するうちに雨脚が強くなって来た。

公園にはベンチがいくつも置いてあるけれど、どれもびっしょり濡れている。車が出来上がるまでにまだ1時間もあるが、「店に戻って待合室で待つことにしようか」と思いながら歩いていると、不思議と雨に濡れていないベンチがあることに気がついた。他のベンチはもうどれもずぶ濡れになっているのに、なぜかそのベンチの半分だけは雨がかからず乾いている。まるで僕に「どうぞお座りください」と言っているかのように –––– 。

座ってみると、ベンチの周囲の木々の枝が上手い具合に重なり合って、僕が座ったそのスポットだけが雨をしのぐ形になっている。紛れもなく15年前に僕たちが植えた桜の枝である。

「もしかして、15年後の雨の日に、僕がここに来て、ここに座ることをお前たちは知っていたのかい?」

全てがみんな繋がっている。時間も空間も生命たちも –––– 。僕が心の中で公園の木々にそう語りかけた時、目の前を横切って走って来たリスが一匹、一瞬、立ち止まって僕を見つめた。それから先にあるメイプルの木を目指して走り、その幹を駆け登って僕の視界から消えた。

ニューヨーク州ホワイトプレーンズ市にあるターナーパーク。僕の28年間のアメリカ生活の中で一番想い出深い場所の一つであることは間違いない。

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