「ボヘミアン・ラプソディー」観ました

昨年は「クイーン」の映画が出来ると聞いていたので、その公開を楽しみにしていた。高校生の頃、ブリティッシュ・ロックに傾倒していた僕は「クイーン」も当然よく聴いた。かれこれもう40年も前のことだ。

秋にいよいよ劇場公開となって、先に観に行った息子が「よかった!」と言っていたので自分も早く観たいと思った。たぶんもう10年以上も映画館には足を運んでいない。ニューヨークの映画館は入場料が高いし、そもそもそんな料金を払ってまで観たいと思う映画は近年なかったのである。「ボヘミアン・ラプソディー」は久々に劇場で観たいと思った映画であった。

しかし、ぐずぐずしているうちに公開期間が終わってしまった。そこで考えたのが、クリスマス・プレゼントという口実のもとにプロジェクターとスクリーンを買って、アマゾンかグーグルでリリースされたら家族そろって鑑賞するという計画であった。惜しいことにクリスマスには間に合わなかったが、年が明けてからついにリリースされることになった。映画のチケット一人分の料金で家族全員で観られ、しかもエクストラが4本も付いている。これを購入しない手はない。

ところがこの計画を実行に移す直前に妻が「この映画は私たちが見るのにふさわしくない」と言い出した。つまりはフレディー・マーキュリーは同性愛者だったから映画の中にそういう場面が出てくるに違いないと勘ぐってのことだった。映画通のTさんに入れ知恵されたようだった。ドグマの檻の中で生きている人たちは、支持政党は「共和党」同性愛は「悪」などと、さまざまなものにラベルを貼っているため、フレキシブルな発想をすることができない。さらに貼られたラベルに反することをすると罪悪感を感じるように条件づけられているのである。

フレディー・マーキュリーが同性愛者であろうとなかろうとクイーンのメンバーは皆魅力的であったし、その音楽性は卓越していた。受け入れられない一部を見て全体を拒否するのはあまりにも不寛容ではないか。それに同性愛は善でも悪でもない。それを判断するのは個人の思考であるが、大概それはドグマと一体化したエゴの為せる技に他ならない。むしろ私は「同性愛者」であるという「事実」をフレディーがどう受け入れ、やがてはエイズに冒されて死ぬべき「運命」とどう向き合ったかが知りたいと思った。それにドグマの檻の中にいない息子が感じた「よかった」を共感したかった。考えてみれば、自分が高校生だった頃に熱中していた音楽を、40年後に息子と共有できるなんてかなり素敵なことではないか。

ファミリーシアターで「ボヘミアン・ラプソディー」を観る計画は頓挫したが、その後、僕はこの映画を日本行きの飛行機の中で観る機会を得た。よかった。クイーンの結成からスーパースターへと登りつめるその過程。「傲り」と「分裂」。フレディーの苦悩。メンバーたちとの和解。そして20世紀最大のチャリティーイベント「ライブエイド」への参加と、映画はクライマックスに入ってゆく。アフリカの飢餓を救うためのイベントが同時にフレディー・マーキュリーを救い、クイーンを救ったのだ。四週間後、帰りの飛行機でも再びこの映画を観た。私と同じ世代なのだろう。斜め前に座っていた男性は何度も繰り返し観ていたようだった。クイーンが絶頂期の頃、僕は中学生・高校生だった。よく聴いた曲というのは当時の思い出と連結しているものだ。青春時代の甘く切ない思い出もこの映画は僕に彷彿とさせてくれた。フレディーが死んでクイーンは本当に「伝説のバンド」になってしまったが、それゆえに人々の胸の中により強く焼きついているのだろう。あの頃の「思い出」とともに。


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