「万引き家族」を観る

是枝裕和監督の「万引き家族」を観た。

妻たちの渡米31周年記念で夕食後に観る映画を探していたら Google Play で見つけた。米国で観られる日本映画は限られているが、この映画は昨年カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した作品であるがために配信が叶ったのだろう。外国作品の場合、駄作がふるいにかけられて良い作品だけが視聴できるのは良いことだ。逆にアメリカ映画はどうでもいいようなのが溢れていてどれを観ていいのか選ぶのが大変だ。「万引き家族」は去年チャンネル桜で前田有一氏が紹介していたのを見て興味が湧いた映画だった。

泣いた。しかし鑑賞中ではなく観終わってしばらく時間が過ぎてからである。頭の中で映画のクリップが次々と反芻されて初めて登場人物たちと感情移入が確かなものになった。本物の家族よりも家族の絆を感じさせる家族は、本物の家族でないが故に、社会から正義の名の下に壊されていってしまうのだ。しかし、迷うことなく「正義」を主張するこの「社会」というものが本当に人間を幸せにしているのか。「正義」や「善」を声高く主張する人々が果たして社会から見捨てられた不都合な現実を引き受ける覚悟を持っているのか。彼らのように。

「魂の旅」の観点からすれば迷うことなく「万引き家族」の彼らの方が有意義な旅人である。社会から捨てられたそれぞれの「痛み」が絆を生んで家族になった。絆とは不思議なものだ。きっとそれは天が与えてくれた宝物なのかもしれない。絆を通して魂は「学ぶ」機会を与えられたのだから。とりわけ「愛」を学んだ魂の体験は有意義だ。たとえ「家族」というカタチは壊れてしまったとしても、結んだ絆は永続するに違いないと僕は直感した。それはきっと輪廻転生の原動力でもあるのだろう。いつかどこかで生命をも超えてまた再びめぐり逢うことができる。そう思うのである。めぐり逢う度に魂はまた別の学びを経験する。そうやって霊性の進化は果たされていくのだ。

映画の中で僕が最も泣いたのは治と祥太が別れる場面である。最も父と息子の絆を作りたかった治が「やっぱり父ちゃんはおじさんに戻ることにするよ」と言って、二度と会わない決意を告げる。その時の心情はどれほど辛いものだったろうか。祥太が乗ったバスを追って思わず走り出す治の姿はその心情の体現そのものだった。かつて父子だった二人は、別れてこれからそれぞれの人生をどう生きるのかは想像するしかない。かつて家族だった者たちもバラバラになって別々の道を歩むのだろう。しかし、かつて家族だったというその体験は永遠にそれぞれの魂に刻み付けれるに違いない。その時に学んだ多くのこともそうだ。そして、また、別れることで「強くなること」を学んだに違いない。魂はまた一歩前へ進んだのである。

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