ジグソーパズルの人生観

アメリカのハドソン・リバー派の画家トマス・コールは僕の好きな画家の一人である。彼は英国生まれであるが、日本文化に染みついているような「諸行無常」や「もののあわれ」がわかっている画家に違いないと勝手に評価している。
彼の代表作に「人生の航海 (Voyage of Life) 」という作品がある。人間の一生を春夏秋冬とも言える「幼年期」「青年期」「壮年期」「老年期」の4つの作品で表した連作の油彩画である。僕は20年前にワシントンDCのナショナル・ギャラリーで現物を観たのだが、実は、コールは同じ作品をもう1セット作成していて、アップステート・ニューヨークの美術館に収蔵されているらしいのだ。パンデミックが治まったら是非とも観に行ってみたいものだと思っている。

もちろん、それは僕の好きな絵画の一つでもあるが、今あらためて眺めてみると「幼年期」「青年期」の生き生きとしたエネルギーに満ちた美しい風景と比べて「壮年期」「老年期」があまりにも対照的に表現されていることに気がついた。キリスト教の宗教観に依るところのコールの「人生観」なのであろうが、人生の後半があんなに孤独で寂しいものに表現されていることに少し胸を締め付けられる思いがした。僕だったら「実りの秋」「蓄えの冬」のような充実感や豊かさを表現したいところであるが。確かにそれは理想なのだろうけれどね。

僕がこの作品を思い出したのは、先日、家族で始めた4000ピースのジグソーパズルに取り組んでいるときだった。「人生とはまるでジグソーパズルのようであるなあ」と思ったとき、なぜかトマス・コールの「人生の航路」が思い出されたのである。人生を4つの季節に分けて考えることには僕も賛成だ。どんな生命にだって春夏秋冬のサイクルがあるものだ。僕が人生はジグソーパズルのようだと思ったのは、生涯を思い悩みながら生きる人間の姿があたかもジグソーパズルに取り組んでいるかのように思えたからである。完成した一枚の大きな絵は人が一生を終えた時に初めて明らかにされるわけであり、その人の人生そのものである。完成予想図というのは一応あるのだけれど、そうおいそれとはうまくは進まないものだ。その絵のサイズが大きくピースの数が多ければ多いほど難易度は増す。絵柄の複雑さも難易度を左右する。パズルのサイズもピースの量も絵柄の複雑さも人によって千差万別だ。だから人生もたついて全く前に進んでないように見えても絶望しないことだ。あなたの取り組んでいる人生は他の誰かと違って(必要のないことだが、もし、比較するならば)もっと複雑で大きなものかもしれないのだから。

概して前半の人生ほど悩みが大きいものだ。4000ピースのパズルに例えるならば、幼少年期はここから1000ピースを選び出さなければならないわけだ。でも心配することはない。まずは簡単なところから始めてみようか。青年期には残った3000ピースから1000ピースを選ぶのでちょっとは楽になるかもと期待はするものの、複雑な部分にさしかかってしまうとそんなことはあまり関係がない。何しろ簡単なところはもう終えてしまっているのだから。しかし、この期間を乗り越えるとかなりの自信と達成感に満たされることだろう。点と点が繋がって線になる醍醐味がだんだんとわかってきた。そして自分の人生の構図がどのようなものかももう分かりかけている。

壮年期には残りのピースはもう半分以下になっているから以前のような労力はもうかからないかもしれない。もっとリラックスして人生を楽しんだらいいんじゃないか。しかし油断をして転ばないことだ。山も下り坂の方が足を取られることが多いのだから。これまで組み立ててきた経験を生かして、奢らず高ぶらず、若者たちの良い手本となれるように、人間をもっと磨いてゆきたいものである。人生も4分の3が終わる頃、たぶん天が自分をここに遣わした理由もなんとなくわかってくるのではないだろうか。私の人生の全体像がもうはっきりと見え始めてきたのだから。そして最後の1ピースをそこにはめ込んだ時、私の生涯の仕事は終わるのである。そしてこう思うのだ。「ついに最後までやり遂げた。この絵がどんなに見苦しいものでも途中で投げ出さなくて本当によかった。僕はもう立ち去るから、この絵が捨てられようがどこかに飾られようが全く頓着はしない。でも、願わくばちょっとは立ち止まって眺めて欲しいものだな」なんてね。

「人生の航路」は依然として好きな作品だが、僕の人生観はトマス・コールのそれとはちょっと違っているようだ。


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