魂を生きる

やめることは簡単。新しく何かを始めることは難しい。しかし、続けることはもっと難しい。どうせなら簡単なことよりも、より難しいことにいつも挑戦し続けていたい。その方が人生楽しいじゃないか。大変だけど楽しい。まあ、それは、つまり、生き方の問題なのだけれどね。その結果得られる恩恵は成功体験と達成感である。(実は、失敗体験も長い目で見れば、人生の糧となるから恩恵に他ならないのだが)これがどんどんと蓄積されてくると人生がとてつもなく楽しくなってくる。

魂が喜びを感じるというのはこういうことなんだ。肉体を生きているというよりも魂を生きているという実感が湧いてくるんだな、これが。魂は不滅なのでこう感じてくると、もう時間の感覚がなくなってくる。はっきり言って肉身の体もどうでもよくなってくる。確かに、老いるとシワも増え髪も抜けて肌にもツヤがなくなって、外見は醜くなってはくるけれど、「魂で生きている」と実感していると肉体の老いにとらわれることもなくなるのである。

それはあたかも、乗っている車がだんだんポンコツになっていくようではあるが、それは当然の現象であって嘆いても仕方のないことだ。その事実は受け入れなければなるまい。それよりも、むしろ、走っている間はその風景を楽しもうと思うのである。そのクルマも新品のうちからこれまで随分と働いてくれて、多くの体験と感動を与えてくれたものだ、と感謝の気持ちを抱きつつ、いつの日か老いて動かなくなったとしたら、その時は丁重に弔ってやらなきゃなるまいな、という思いを頭の隅に置きながら、今という瞬間を存分に生きたいと思うのである。

この肉体はいつかは手放す時が来るけれど、必要ならばいつでも新しい肉体を手に入れることはできるのだ。僕はそれを信じている。なぜなら僕の本質は魂であって肉体ではないから。実際、今、この地球にこのように肉体を持ってやって来ているのも、魂の成長にとってそれが必要であったからに他ならない。それがわからない人にとっては肉体を失うことは極度な「恐れ」なのかもしれない。物質世界の諸々のものに極度に執着するのはその「恐れ」の裏返しなのだ。みんなが自己の本質に気づくように。そして、肉体を生きるのではなく魂を生きようではないか。

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