「7つの習慣」から思うこと

数年前に夢中になって読んだスティーブン・コヴィの「7つの習慣」。
もっとも僕は日本語版は読んでいないのだけれど、アマゾンjpで検索してみたら、あったあった、原著訳のみならずそのブームに乗っかって書かれた関連書籍がわんさかと。原書の初版が出版された1989年以来、世界中で3000万部超の大ベストセラーとなっただけに、自己啓発書のバイブルと言っても過言ではない。人類歴史の上でも、聖典とおぼしきものにはコメンタリー(注釈書)がわんさかと書かれたことを思うと「7つの習慣」も聖典にも通じる啓示的内容が詰め込まれているのではあるまいか。もともとビジネス書としてジャンル分けされた本書ではあるが、その中でふんだんに語られる人生哲学は、ビジネスマンのみならず、読む人すべての心を捉えたことは間違いない。

聖典や優れた哲学書には、それに対する解説書やコメンタリーを書く人たちが必ず現れるものだ。それが数千年も前から変わっていないのがおもしろいところだが、それだけ人類は太古の昔から常に向上心を抱いてきた存在である証拠だろうと思う。最古の聖典とされるヴェーダなんかも多種多様な解説書が出てきたし、解説書の解説書、そのまた解説書みたいなものまでたくさん書かれてきた。しかし、現代日本では「7つの習慣」の漫画版まであるようで、なんでも漫画にしてしまうのがいかにも日本らしいと、思わず笑ってしまった。ちょっと話がそれてしまったが、とにかく、愛読者の一人としてはスティーブン・コヴィの「7つの習慣」は誰にでも薦めたい本の一つである。できれば原書でも読んでみることをお勧めしたい。大人のための格好の英語教材にもなると思う。

実は、「7つの習慣」について書こうと思ったのは、何を隠そう、僕自身その内容をすっかり忘れてしまっていたからに他ならない。この本は読みっぱなしで本棚にしまっておく類の本ではない。繰り返し読んで定期的に自分を省みるための指針とするべき本なのだ。「25周年記念エディション」という文字が目に入って思いがけずキンドル版を購入してしまったのは、もうかれこれ5年前のことだ。その内容に感動し、早速、せっせとスケジュール表を作ったり、ミッション・ステートメントを書いたりしたものだ。図書館でオーディオブックまで借りてきて PC にダウンロードした記憶もある。しかし、あの興奮はいつの間にやら冷めてしまって、今は7つの習慣の「7つ」がなんだったか全て思い出せないでいる。実際、その習慣が身についているならばその「7つ」が何であるかを忘れてしまったとしても大した問題はない。もう一度言うが、もし本当に身についているならば、である。それ確認をする意味でも「7つの習慣」の内容を今ここで復習してみようと思ったわけだ。

いつものように日本語のウィキペディアが役に立った。僕が読んだのは原著の英語だが、日本語の解説があることはありがたい。英語でインプットされた情報が頭の中で日本語(母国語)で整理される。これは「復習」の方法としては最適だ。さて、「成功する人の7つの習慣」とは次の7つである。

  1. 主体的であること(Be proactive)
  2. 終わりを思い描くことから始める(Begin with the end in mind)
  3. 最優先事項を優先する(Put first things first)
  4. Win-Win を考える(Think Win/Win)
  5. まず理解に徹し、そして理解される(Seek first to understand, then to be understood)
  6. シナジーを創り出す(Synergize)
  7. 刃を研ぐ(Sharpen the saw)

1〜3は私的成功のための習慣であり、4〜6は公的成功のための習慣である。公的成功は私的成功が前提となってなされる。私的成功とは依存状態からの自立であり、公的成功は自立した人間の相互依存によって達成される。なるほど。そして、1〜6を繰り返すことによって、各習慣の質を上げてゆき、螺旋階段を登るように総合的にレベルアップしていくことが「第7の習慣」である。と、こういう理解でいいのかな。

これをビジネスに当てはめると確かにわかりやすい。特に起業して成功するまでのプロセスというイメージを描くと「なるほど」と納得する。この本がビジネス書にカテゴライズされているのも当然だと思う。しかし、よくよく考えてみれば、この7つの習慣の応用範囲はビジネスだけに限られたことではないことに気づくだろう。つまりは、あらゆる人間関係、一対一の個人から始まって国と国の関係に至るまで応用可能だと思われる。これはつまり普遍的真理なのである。

コヴィ博士はこの本の内容が社会に広く浸透することを望んでいたようだ。読者に対しても、ただ読んで終わりではなく、その内容を実践し、それを人に教えるようにと推奨している。確かに全ての人がこの「7つの習慣」を心がけたとしたら、それだけ人間社会は全体としてより良い方向に進みそうである。しかし、現実はそう簡単にはいかない。何故ならば7つ目の習慣が暗示しているように「刃の切れ具合」(コヴィ博士の言う「人格主義」の完成度)は人により千差万別だからだ。人は成長の螺旋階段のいろんな段階に散在しているのだ。その完成度または成長段階がバラバラな人間同士がギクシャクしながら暮らしているのが現実の人間社会である。隣近所の付き合いも多くの場合「7つの習慣」の定石通りにはいかないものだ。引っ越しのできない隣国間の付き合いとなると特に難しいことは最近の日韓関係を考えればよくわかる。しかし、別の見方をすれば「7つの習慣」はいろんなレベルでの成功体験が可能であると思われる。共産主義のような壮大な「絵に描いた餅」ではなく、個人で出来る小さなレベルから実践していけることには大きな希望を感じる。その小さな成功例がどんどんと増えてゆき、やがては大きなレベルでの成功例へと繋がってゆけば、それは世界的なあるいは歴史的な大きな潮流になるかもしれない。

ひとつここで僕が危惧するのは「Win-Win」の内容である。何をもって「Win-Win」なのかは価値観によっても違いがあろう。西洋と東洋では違うだろうし、極地に住むイヌイットとモンゴルの遊牧民たちでも当然異なる。しかし「7つの習慣」の中で言っている「Win-Win」はもっぱら現代の資本主義社会の価値観に基づく「Win-Win」であるような気がする。これを読む読者の大半もおそらくはそういうマインドセットで読み進めていることだろう。しかし、先に述べたように「7つの習慣」が大きな潮流となって地球規模になったとしたら、当然、人間は人間同士の「Win-Win」を考えているだけでは済まされない現実に気づくことだろう。人類と自然環境、人類と地球との「Win-Win」とは果たして何なのか。

自然生態系は全体として共生共存関係に成り立っている。コヴィ博士が提唱した「7つの習慣」を自然界に当てはめて見て欲しい。見事にそれが実践されている例をいくらでも発見することが出来る。結局「7つの習慣」とは自然の理法そのものであったと言えるのではないか。自然界では至極当然のごとく行われている習慣が現代の人間社会においては努力をしてもなかなか適えられないというのは一体どういうワケであろうか。かつては人類も自然と調和して生きてきた時代があったはずだ。現代人は地球上で最も愚かな存在に零落してしまったのではないかとさえ思ってしまう。人類が種としてレベルアップするためには、まず、その愚かさの根本を見極める必要があるのかもしれない。

ミッションステートメントを書く際は、是非とも、本当の「終わり」、つまり、人が地球環境や宇宙全体との関係においても「Win-Win」を実現した素晴らしい未来を思い描いた上で取り組んでいただきたいと、ヨーガな僕は思うのである。

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