2020年を終えるに際し、20年という歳月について考えた

10年ひと昔20年ふた昔とよく言われる。

しかし、僕の記憶の中では20年前なんて「ついこの間」という感覚である。このように感じるのは僕が歳をとった証拠である。例えば二十歳の青年なら20年とは恐ろしく長い歳月に違いないから。

20年前といえば西暦2000年である。そのまた20年前の1980年には「西暦2000年の地球」という環境問題に関する未来予測の本が出版されて、僕の大学時代には必読書のようになっていた。その内容はかなり悲観的で「こりゃ、将来大変なことになるな」という印象とともに「西暦2000年なんてまだまだ先のことだろ」なんてたかをくくっていたのを思い出す。そのとき遠い未来のように思えた西暦2000年は、もうとっくに過ぎて、ふた昔も前のことになってしまった。それでも、遠い過去になったという印象を持たないのは不思議といえば不思議である。時間という座標軸は夢か幻のごとく、架空のものかと思えてくる。

20年前、僕はまだ30代だったんだなあ。
まだ親父も生きていて、9.11テロも起きていなくて、日本はバブルがはじけたとはいえ、まだ世界第2位の裕福な国だった。そのとき末っ子はまだ生まれていなかった。僕の家庭はまだ発展途上の段階だったんだ。それゆえに夢も希望も十分に持ち合わせていた。しかし、この20年で僕の家庭は完成期を迎えた。子供は日ごと成長し、いつの間にやら大人になって、この家庭から出て行く年齢になった。僕らが作ったこの家庭はそろそろ「空の巣状態」になろうとしている。20年なんて「ついこの間」と思っていた年寄りだけがただ一人取り残されて、若者たちは驚異的なスピードでこの時間という座標軸を走り抜けて行ったのだ。

2021年から始まる次の20年は果たしてどんな20年になることやら。間違いなく言えるのは「出会い」よりも「別れ」の方がはるかに多くなるだろうということか。これまでも多くの知人を霊界へと見送ったけれど、次の来たる20年はその数がおそらく倍増することだろう。そして、より身近な人物とお別れする機会がにわかに増えるに違いない。それは僕の母も含めて。そして、20年前38歳だった僕は20年後には親父の享年を越える年齢になるわけだ。もしも、それまで僕の命が尽きなければ、そのあとはもういつ果てても悔いは残るまい。

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