志村けんさんの死に思う

コロナウイルス性肺炎で志村けん氏が昨日 (3/29) 亡くなった。日本のロビン・ウィリアムズと評されてアメリカでもその死が報道された。テレビ全盛期に子供時代を過ごしてきた僕たちにとって「テレビの人気者志村けん」の死には衝撃を覚えずにいられない。日本のみならず台湾等でも大変な人気であったそうだ。活躍期間が長きにわたっていたこともあり、子供からお年寄りまで誰もが知っている日本を代表するトップコメディアンであったことは間違いない。それにしても70歳での逝去は早すぎた。まだまだ活躍できたはずなのに残念な思いでいっぱいである。

超有名人はその「死」においてさえも発信力はものすごい。コロナによる肺炎の恐ろしさを世に十分に広報してくれたものと思う。かつて在りし日の丹波哲郎が「自分が有名になったのは霊界の真実を世の中に伝えるためだった」という意味のことを言っていたが「有名になること」は情報発信上最も効果的な手段に違いない。「有名になること」に成功した人たちは情報発信力(アウトプット力)の達人として尊敬したく思う。志村けん氏がかくも長きにわたってアウトプットをし続けたことは、間違いなく偉大な功績であった。やり続けること、活動し続けること、アウトプットし続けることの重要性を僕に教えてくれたような気がしている。コロナ云々もそうだけれど、今の僕が受け取ったメッセージはむしろこちらの方が大きい。

いみじくも発信力ゼロの僕が、これからは発信力だけで余生を送ろうと考えているくせに、それに見合った行動を起こせずにいることを恥じているのだ。情熱やモチベーションが続かない故に活動をやめてしまうのは凡人が陥る顛末だろう。「継続力」こそが凡と非凡を分ける重大な要素なのだ。志村さんの死をきっかけに僕も自分を叱咤しなければなるまいと思う。「インプットの量はアウトプットで決まる」という教訓を忘れてはならない。

志村けんさん、ご冥福をお祈りいたします。

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