僕らは地球の同窓生

「まなびさんが」とは僕が作った造語で「学ぶ仲間」という意味である。「学ぶ」と言っても学問や知識ではなく魂にとっての「まなび」という意味を含んでいる。だから「さんが」 (sangha) という仏教用語を抱き合わせたのである。「サンガ」とは仏法を学ぶために集った仏弟子たちの集団のことである。まさに「仏の教えを学ぶ仲間たち」の意味であるが、そうフランクに言ってしまうと少し軽率で世俗的な印象を感じるので、個人的には「サンガ」という表現のままが一番しっくりくると思っている。なにせ「仏法」という深遠な教えを学ぶのであるから。それは知識だけではなく「修行」という体験も通して学ぶ、マルチディメンショナルな魂の学びに他ならない。

しかし、僕が構想する「まなびさんが」は特に仏教に限定しているわけではない。特定の「修行法」にもこだわらない。宗教、宗派、信仰のあるなしにも関係がないのだ。なぜなら魂の学びは誰にでも与えられている機会であるからだ。僕がそのことに気づいたのは、これまでに仏教もキリスト教もかじり、牧師を目指して宗教教育学修士まで取り、宗教やスピリチュアルなことについて散々考えあぐねてきたあげく、齢も50に近づいた頃だった。

誰でも地球に生まれた時点で魂の学びは始まっている。「生きること」が「修行」なのである。それに気づこうが気づくまいが。しかし、気づかぬよりも気づいた方が学びの効果は高い。つまり、それは、自分の本質が「魂」だと自覚することから始まる。その自覚だけで人生観が変わる。あとは意識を高めることだ。その最善方法は「瞑想」である。「瞑想」を習慣づけることを強くオススメする。先ほど修行法にはこだわらないと言ったが、人には何らかの修行法(スピリチュアル・プラクティス)は必須であると思っている。瞑想は一種の技法であるが、どんな修行法にあっても共通に必要な要素であると思う。だから瞑想だけにはこだわって欲しい。僕は学生の頃から瞑想に取り組んできたが、その頃は全く「瞑想」になっていなかった。実は最初から瞑想に挑戦しようとしても大概は瞑想ならぬ迷走で終わる。しかし、ヨーガを実践するようになってからは「瞑想」ができるようになってきた。(そのゴールはまだまだ先だが)

瞑想の成否は実は年齢にも関係するようだ。7歳の子供に瞑想を教えても多分無理だろう。ティーンエイジャーでも難しいと思う。なぜならこの期間は肉体の成長のために大方の時間とエネルギーを費やすからである。肉体でできた身体の奥にはより微細な波動からなる身体(エネルギー体)が存在すると考えられている。肉体とエネルギー体をつなぐ役割を果たすのが呼吸であるが、この二つの領域が完全に連結されるのは、やはり、肉体が成長期間を終えて成人になって以降であると考えられる。だから、自己の深部へ深部へと意識を向ける瞑想の実践は成人の方が適しているのである。しかし、稀に、最初から成熟した魂を持って生まれてくるスターシードと呼ばれる特別な人もいる。そういう人は子供の頃から難なく瞑想をマスターすることができるに違いない。一方、普通の子供は瞑想することに興味さえも覚えない。しかし、それは自然なことなのである。

特別な使命を持ってこの地球にやってきたスターシードたちは、もしかしたら僕たちの魂の師になってくれるかもしれない。運よくその人に出会えたら素直に「先生」と仰いでもいい。本当にその方がそうであるならば。でも、覚えておいて欲しいのは、地球には泥棒や詐欺師がわんさかいるということだ。所詮、ここに生まれてきたということは、みんな似たような魂のレベルだっていうことだから、みんな似たような手口で騙される可能性がある。まあ、一度騙されてみるのも何かの「学び」には繋がるのだけれどね。ただし、学ぶのは騙されたことに気づいた後のことであって、一生騙されたまま終わってしまったら「今生」における学びは少ない。

だから「まなびさんが」で勧めるのはカルマ・ヨーガだ。

スターシードではない僕たちは魂のレベルにおいては同学年なのである。つまり、地球に集った魂たちはみんな同窓生だと言ってもいい。地球は魂の学校だ。ここでは個人個人がそれぞれに適したカリキュラムを実習中なのである。カルマ・ヨーガとは何も難しいことをするのでなく、ただ、そこに気づくだけのことである。地球は学校なのだから、僕たちを学校に送ってくれた父母のような存在がいたはずである。その方を「大いなる存在」と呼ぶことにするなら、カルマ・ヨーガとはその「大いなる方」の意図を理解し、ここで「生きる」ということだけなのである。その意識ひとつで「生活」の中から魂の学びを得ることができるのなら、それはなんと素晴らしい「生き方」であろうか。

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