ステファン・コープの著書を読む

Stephen Cope の “Yoga and the Quest for the True Self” を読んだ。

ステファン・コープ氏は全米でも最大と言われるヨーガ修練施設、クリパルセンターのシニア・ティーチャーである。この本は心理療法士でもある著者が、人の人生をも変える力をヨーガに求め、そのポテンシャルを探求していったスピリチュアル・ジャーニー(魂の旅)であるといってもよい。

10年前に、彼の別の著作 “The Wisdom of Yoga” を読んだのであるが、それが当時の最新作で、今回読んだ “Yoga and the Quest for the True Self” の続編であった。それゆえ、早く前作を読まなければと思っていたのであるが、いつの間にやら10年が過ぎてしまった。しかし、その間にキンドル版が出たおかげで、比較的容易に読み進めることができた。心理療法士でもあるコープ氏は心理学的見地からの考察も多く、文章表現が洗練されていることもあってか、英語がネイティブではない僕には、結構、読むのに苦労した。だからキンドルの辞書機能は大いに助けになったのである。

さて、”Yoga and the Quest for the True Self” はコープ氏の処女作である。日本語に訳すなら「ヨーガと真我への探求」という感じになるだろうか。僕だったら「ヨーガ・本当の自分を見つける旅」というタイトルをつけるかもしれない。

その内容は、心理療法士であった著者が、それまでのキャリアと人間関係を断ち、友人たちからは反対されながらも、4ヶ月のヨーガ・リトリート(修練会)に参加するところから始まる。心理療法士という、人間の「心の問題」を取り扱う、いわばプロでありながら、西洋的な心理学の学術体系では十分に説明できない問題が数多くあることを感じていたのである。それはこれまで診てきたクライアントたちを通してもそうであったが、とりわけ、著者自身が直面していた「うつ状態」を解決できないという現実があった。そうした心のわだかまりが、彼をヨーガ・リトリートへと駆り立てたのである。

クリパルセンターでのリトリートを経験することによって、著者は人間には霊的成長のために持つべき時間と環境が必要不可欠であることを知る。人間を構成している要素はただ肉体的なものだけではないからだ。5000年とも言われるヨーガの歴史の中で、その実践者(ヨーギ)たちが「人間とは何か」という根本命題の答えを求めて、おびただしい数の修行と実践、深い思索、トライアンドエラーを繰り返してきた。ヨーガにはその叡智が幾層にも渡って蓄積されている。コープ氏が挑んだのはその深淵に踏み込んでその叡智を一枚一枚剥がしていくことだったに違いない。

    Stephen Cope

心理学のエキスパートである著者が、心理学の観点からヨーガを理解しようとしたことは自然なことである。しかし、それが、ヨーガを人々(特に西洋文化圏の人々)に広く認知させることに役立ったのは間違いない。実際にヨーガ哲学と心理学では相通ずる部分が数多くあるのである。フロイトが唱えた潜在意識の概念はヨーガ哲学にはすでに存在していたし、ユングの名付けた “divine child” はヨーガでいうアートマンに通ずる。近現代の心理学者たちが取り組んできたのと全く同様な問題を、ヨーガの哲学者たちがもう既に何千年も前に取り組んでいたという事実を知るにつけ、著者は興奮を覚えていった。コープ氏は東洋の深淵を、いわば西洋の光で照らしてみせたのである。

クリパルセンターに集った「ヨーガに魅せられた人々」を著者はつぶさに観察した。全米からあるいは国境を越えて多様な人々が集まっていた。それぞれが異なる事情や問題を抱えているが、その解決策としてヨーガに希望を託した点では一致している。多忙な毎日から自分を見失った人、ドラッグ依存症から更生したい人、性に関する悪習慣を断ち切りたい人、あるいは、クリパルセンターの創設者でありクンダリニー覚醒を成就したとされるアムリット・デサイに魅かれた人たちなどである。全員がヨーガで人生を変えたいと思った人々であった。そして、著者自身も含めて、その数々の実例を研究することによって、ヨーガに秘められた「人間を変える力」を確信するに至るのである。

ある日、アメリカ人のヨーギ、ギタナンダの言葉に著者は共感を得る。元は有名大学の物理学教授であり、将来も有望視されていた彼は、その恵まれていた立場を捨てて、清貧の生活を選んだのである。その理由を尋ねた著者にギタナンダは言った。
「私の人生が終わるときに、データを分析する科学者であったということよりも、自分がデータそのものであったということの方が、より満足できる人生に違いないと私は思ったのだ。」

4ヵ月のリトリート期間はあっという間に過ぎていったが、著者はここを去り難い思いを感じていた。アメージングな人々との出会い、自然を十分に満喫できる環境、そして、ヨーガと瞑想の日々は祝福そのものだった。しかし深遠なるこの東洋の伝統はたった4ヶ月では到底つかみきれるものではない。ヴェーダ、ヴェーダンタ、サーンキャ、タントラなど基本的なヨーガの聖典は読んではみたが、自分の人生にどう関わっているのか全くわからない。人間の苦悩の原因について確かにヨーガ哲学では説明されているけれど、果たして自分の中では解決されている問題なのか。著者はにわかに不安におそわれた。自分がここを去って元の心理療法士に戻ったとしても、週に数十人とやってくるクライアントに何を語り、その「苦悩」を取り除いてあげられるのか。リトリートも終わろうとしていたとき、著者はこの質問をアムリット・デサイに直接投げかける機会を得た。デサイは言った。
「あなたは自分が誰だか分かっていない。あなたが思う『あなた』はあなたではない。」

デサイ導師が解説したのは「バガヴァッド・ギータ」の教えであった。ヨーガではキリスト教のように人間の「苦」の原因を「罪」であるとは考えない。「苦」の原因は単に「無知」であるからに他ならない。ウパニシャッドの聖者たちは、苦悩 (klesha) という「幻想」のベールを取り除かなければ、真実をを知ることができないと説く。人は常に苦悩 (klesha) に心を惑わされているのである。ヨーガ哲学では苦悩 (klesha) の原因には5つがあると考える。「無知」(Avidya) 「エゴ」(Asmita)「誘惑」(Raga) 「嫌悪」(Dvesha) 「(生に対する)固執」(Abhinivesha) である。さらに、この5つの Kleshas を揺るがぬものにしている「間違った信仰」がある。それは次の4つである。

  1. 事象の不変性を信じること
  2. 身体の究極的な実在を信じること
  3. 苦しみの状態を本当の幸福と信じること
  4. 身体と心と感情を真我と信じること

5つの「苦悩」と4つの「間違った信仰」に染まって現実を生きるならば、それは幻想 (delusion) の中で生きていることに他ならない。「バガヴァッド・ギータ」には、そのヨーガ哲学の真髄がクリシュナとアージュナの対話を通して明確に述べられているのである。

問題は「私」が誰なのかを忘れてしまっていることであり、その解決法は「私」が誰であるかを思い出すことに尽きる。つまり、それは、幻想 (delusion) を克服して「真我」(atman) に生きるということなのである。

コープ氏は4ヶ月のリトリートを終えた後もクリパルセンターに残ることを決めた。そのことをギタナンダに報告すると、彼は親しみを込めて笑い、言った。

「あなたも『聖なる釣り人』に引っ掛かってしまったな。もちろん、それに抵抗して引っ張り返すことはできる。しかし、一度フックにかかってしまうとあなたの人生は一つの方向に進むしかない。リラックスして、楽しんだらいい。」
「は?誰が私を引っ掛けたのです?『聖なる釣り人』とはどういう意味ですか?」
「今にわかるよ」とギタナンダは言った。

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