ステファン・コープの著書を読む

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当初4ヶ月の予定だった筆者のクリパルセンターでの「修道生活」は、いつの間にやら10年を越えた。「クリパル」の一員となった著者は、このスピリチュアル・コミュニティの「破壊と再生」という大事件を目の当たりにすることになったのである。

1994年、クリパルセンターで開催された「心理療法とヨガについて会議」には世界中から多くの心理学者たちとヨーギたちが集まった。そのイベントの前後からクリパルコミュニティには、ある疑問が蔓延しつつあった。東洋の伝統である「導師(グル)と弟子」という形態が、アメリカのような西洋社会の人たちの「霊的成長」にとって、本当にふさわしいシステムだろうかという疑問である。個々の人間に本来備わっているポテンシャルを抑圧しているのではないだろうか。当時350名にも達した居住修練者たちは内外共に乱れていたのである。

導師(グル)アムリット・デサイのスキャンダルの発覚がコミュニティの破壊を決定的なものにした。しかし、破壊の背後には再生という可能性が隠れているように、あるいは、失敗の中に成功の種が隠されているように、クリパルセンターは新しいスピリチュアル・コミュニティへと生まれ変わる道が残されたのだ。それはあたかも破壊と再生の神シバがコミュニティ全体に直接働いたかのようでもあった。

本書の最後のパートでは、このクリパル・コミュニティ変遷の一部始終が、著者の考察とともに書き記されている。旧体制下での最後で最大のイベント「心理療法とヨガについての会議」は結局、その旧体制破壊への出発点となった。しかし、同時に、新しいスピリチュアル・コミュニティのあり方を考える機会ともなったのである。その会議に招かれた著名な女性心理学者と著者は後に対話を交わして、心理学者らしい分析を読者に提供している。

人が導師(グル)とスピリチュアル・コミュニティを求めるのは、孤児が親と家庭を求めるのと似ている。現代のアメリカ社会において、「導師と弟子」体制のヨーガ・アシュラムに大勢の若者が集った背景には、家庭や既存の社会の劣化があるのかもしれない。理想の父親像を導師に求め、理想の家族をスピリチュアル・コミュニティに求めて、若者たちは自分が帰ることができる「家」が欲しかったに違いない。しかし、それらは結局のところ、各自が頭に思い描く理想 (archetype) であるに過ぎず、いつか「素の現実」を知った時に、導師も自分と同じ人間であることを知るのである。

だから真の導師は弟子をいつまでも自分の元に留めておいたりはしない。導師と弟子は必ずいつかは決別しなければいけないのである。導師の中に「神」を見ている間は弟子たちの霊的成長は得られない。導師の中の「神」ではなく自分の中の「神」を見いだすことが重要であるからだ。真の導師とは、そのことを熟知していて、弟子たちをそのように導くはずである。自分を神のごとくに振る舞い、弟子(信者)たちにもそのように崇めたてまつさせる。そんな導師がいたとしたら、彼は明らかに偽導師である。

アムリット・デサイは真の導師であったのか。自分の「恥」をさらけ出し、信奉者たちの失望を買い、怒りの矛先を多く向けられたが、結果的には弟子たちを導師から決別させることには成功したわけだ。この本の著者ステファン・コープは、少なくともアムリット・デサイを糾弾してはいない。

人間が人間としての「可能性」をフルに発揮できるようになるためには、真我 (True Self) に目覚めることが絶対に必要である。ヨーガとはそれを達成するためのカリキュラムだと言ってもよい。真我に目覚めた状態をニルバーナ (Nirvana) と呼び、生きながらにしてそこに到達した修道者を、ヨーガではジパンムクチ (jivan mukti) と呼ぶ。仏教も含めたインド発祥の思想では、ほぼ共通の概念であり究極的な目標とされている。しかし「真我に目覚める」という状態は、たとえ刹那的であったとしても、普通の人間が日常生活の中で体験し得るものだと著者は語る。導師(グル)につかなくとも、スピリチュアル・コミュニティーに加わらなくとも、人は日常茶飯事的に「真我」(True Self) を実感する体験をしているのではないかと著者は言うのだ。もちろん、霊的成長を促すために準備された特別な環境は時には助けにはなるかもしれないが、最後にはそこを脱して自己の中に答えを見つけていかなければならないのだと思う。それは、あたかも、お釈迦様がさまざまな教団や導師を巡った後に、最終的にはそれらと決別して一人で「さとり」に達したようにである。

僕は、ずっと、魂の救済は「宗教」にあると考えていた。しかし、今は「宗教」とは留まるところではなく、突き抜けてゆくべきところであるという結論に達している。魂の成長のためには「脱皮」が必要なのである。この本を読んで、著者の「魂の旅」は、いささか僕の「魂の旅」と似たところがあるなと感じた。
これからもしばらくはステファン・コープさんに付き合っていくことになるだろうと僕は思っている。

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