素敵な老人に倣いて

さだまさしがゲスト出演している「地球劇場」という番組をたまたま YouTube で見つけて、計らずも最後まで見てしまった。さだまさしの名曲の数々を聴けたこともさることながら、番組の最後に語る「100年後の子供たちへのメッセージ」が印象に残った。

「(人生に)迷ったら、良き老人と出会ってください。こんなおじいさんになりたいな、こんなおばあちゃんになりたいなと思う人に出会ったら、目の前のモヤがぱあっと晴れて、もっとやらなくちゃいけないってことを、すごく気がつくと思う。」

さださん曰く、自身が若いころに偉大な老人たちと出逢って「自分もこんな老人になりたい!」という強い欲求が生まれて、早くおじいさんになりたいと思って生きてきたのだそうだ。彼が会った老人たちとは文学者や画家、あるいは哲学者であったと言う。

若者たちに「こんな老人になりたい!」と思われるような老人になれたなら、それはなんとも素敵なことではないか。「老い」は決して寂しいことではない。さだまさしの言葉に少なからず勇気をもらった僕だった。「100年後の子供たちへのメッセージ」(2014年放送)が7年後の50代のおじさんを感動させたのには少し心外だったかもしれないが –––– 。

この動画を観た翌日、その印象も冷めやらぬうちに、不思議な巡り合わせで、「祈り〜サムシンググレートとの対話〜」というドキュメンタリー映画を観る機会に恵まれた。実はここに「良き老人」が登場する。筑波大学名誉教授の村上和雄氏である。

実を言うと、村上先生は僕が筑波大学の学生だった頃の農林・生物学系の教授だった。映画の中に登場する高血圧の原因タンパク質レニンの話は、当時ブルーバックスで出版された先生の著書「バイオテクノロジー」の中で詳しく書かれていた。先生の講義も受けたことがある。農林学類では最も著名な先生で、学生たちの誇りであり憧れであったと記憶している。だから、あれから25年が過ぎて、映画の中に登場する村上先生が若者たちに希望を与えうるような素敵な「良き老人」の姿になっていたことは驚くべきことではなかった。歳をとったとはいえ、昔と同様、闊達なしゃべり口調で自分の夢について語る先生の目は、まるで青年のそれのようだった。

遺伝子研究の第一人者として、先生が世の人々に伝えたかったことが「サムシンググレート」の存在である。
21世紀になって、あらゆる生物の遺伝子暗号の解読さえも不可能ではなくなった現在、その暗号を書き込んだ偉大な存在について、人類はもっと考えを及ぼすべきだと村上先生は訴えるのである。文学作品と同様に、それを読んだ人よりもそれを書いた人の方が偉いに決まっている。極微な空間に暗号を書き込んだ存在は明らかに人間ではない。先生は科学者の立場から、目に見えるような測定可能な自然を超えた偉大な存在を「サムシンググレート」と呼んだのである。先生は映画の中で、その「サムシンググレート」のメッセージを伝えるメッセンジャーになるという自身の決意を語っている。自分の天命を自覚した人の表情は晴れやかだった。

その映画の公開から9年目を迎える今年の4月13日、村上和雄先生はこの世を去った。85歳だった。映画「祈り〜サムシンググレートとの対話〜」の中で見せてくれた先生の姿はまさに「ああ、こんな老人になりたいな」と思えるような素敵な老人であったことは間違いない。その前夜に観たさだまさしのメッセージが僕の頭には浮かんでいた。

村上先生、良き老人の模範を見せてくださってありがとうございました。先生のご冥福を心からお祈りいたします。


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